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リアリズムの風呂

先日友人に送ったメールの返信で「リアリズムの宿」という映画を見るようにと勧められました。

早速調べてみると、つげ義春が原作だと言う事が分かり興味津々TSUTAYAに向かいました。

生憎この映画の在庫はなかったのですが、他店舗から取り寄せてくれました。

 

映画は国英(くにふさ)という無人駅の駅舎前のシーンから始まるのですが、何とも奇妙な名前です。

時刻表を見て更に奇妙な事を発見しました。

上りは1日に11本しか無いのですが下りは13本もあり辻褄が合わないのです。

こんな変梃なダイヤの組み方では最低でも1日に2輛ずつ下り方面の車庫に車輛が溜まってしまいます。

ダイヤの改正が年に一回だとして合計730輛以上の車輛を下り方面では保管しなくてはなりません。

 

このとき私は頭に強い衝撃を覚えました。 一体何が起こったのか分からず一瞬戸惑いましたが直ぐにそれが神託か託宣なのか、その類のものが降りてきたのだと分かりました。

深い智慧を授かった私はこの駅に停車する列車の本数だけでなく通過する列車の数も調べてみました。

これで悩みは解消する筈だと思いほくそ笑んでいたのですが、これを加えてもやはり1日に2本下り列車の数が多いことが分かりました。

 

この神をも欺くJRのダイヤ編成に私は大きく悩まされました。 きっと日本中でこのような奇妙なダイヤを組んでその結果どこかで整合するようにして車輛が特定の場所に溜まり続けるのが避けているのでしょうか。

こんなダイヤを組むために計算能力に長けた優秀な人材を使ってもいいのでしょうか?

 

そんなことを考えながら映画を観ていたので内容もボンヤリとしてしまったのですが、共通の友人から旅に誘われた初対面の二人の青年が国英駅の前で出会います。 そこに友人は約束の時間になっても現れず仕方なしに二人で旅を始めるのですが奇妙な目に遭いながら金もなくなった時に酷い宿に辿り着きます。

きっとこの映画を勧めたのはこの宿のシーンを私に見せたかったのでしょう。

 

風呂場は雑然としていて汚く、子供のうんちまで転がっている。 食事にはやけに大きな鍋で味噌汁が運ばれてくるが、おたまを床に落としたのを見て交換するように言っても無視される・・・

床に入った二人は

「風呂汚いし・・・・」

「味噌汁多いし・・・・」

と自虐的に笑いながら囁きあいます。

 

私も四国を巡礼してとんでもない宿に数回泊りましたが、廃屋に近いような宿でも気持ちの持ちようによってはそれなりに滞在を楽しむことも可能です。

でもせめて風呂くらいは綺麗なお湯に浸かりたいものです。

嘘のような100%本当のお話

私の友人に廃屋の好きな男がいて、古い炭鉱住宅や崩壊しかかった市場の廃墟などを見て

鼻腔を拡げ鼻息を荒げて喜ぶので遍路中に泊った襤褸宿の様子を報告してみた。

余りに不思議な体験だったのでこのメールをここに公表し広く世に知らしめたいと思うばかりである。 尚、ここで記述する内容に一切の脚色はなくすべてが真実であることを予め断っておきたい。 平成25年12月28日作者記す。

 

 

■■様

 
今年の春遍路に出て根室岬付近で泊った宿の写真です。
徳島県最後の薬王寺(23番札所、海亀の産卵で有名な日和佐にあります。
NHK朝ドラのウエル亀の舞台)を出て室戸岬にある24番札所最御崎寺(ほつみさきじ)まで75.4kmひたすら歩き続け疲れも頂点に達していた時の事です。
ここから更に6.5km先の25番札所津照寺(しんしょうじ)を打った後(遍路ではお寺参りすることを打つと言います)この宿に到着しました。
 
外観の写真はネット上で見つけたもので一見まともです。だけども実際は玄関の扉は中途半端に開けっ放しになっていて、全く動かずウンともスンともならない状態です。
中に入ると薄暗くとんでもない旅館に到着したなという気配を即座に感じることが出来ました。二階の部屋に続く廊下は意外に古くなく昭和40年ころに流行ったような(?)市松張りのフローリングなのですが写真を見て判るようにすでに壊れかけています。
この上を歩くと深く沈み込み今にも床が抜けそうなのですが、これが部分的ではなくほぼすべての個所で大きな沈み込みを感じました。
 
次にこのささくれ立った畳を見てください。田宮虎彦の足摺岬の中での清水屋(だったか?)の描写のように梅雨であれば押せば水が滲みだしそうな、長い間風雨に晒されていた廃屋の畳に劣るとも勝らぬ状態の・・・・何というか一種の幻想的な世界(かなり自虐的だと思いますが)に浸る事ができるのです。
 
壁には黴で紙魚の出来た島田姿の美女の麦酒のポスターこそ貼ってありませんが、そんなものを遥かに凌駕する襖と壁の状態を見てください。
足摺岬を訪れた時に貴兄はこんな宿を望んでいたのではないかと思いました。
共同の洗面所の蛇口はいくら閉めても水が止まらないし、便所は掃除した気配がなく便器に糞尿が飛び散っていて不衛生極まりないのに加え、この密室の中でボウフラから羽化したのでしょうか、多くの蚊が飛び交っていてしゃがむなり尻中刺されすぐに真っ赤に腫れ上がってしまいます。
大用と小用があるのですが小用の方は電球が切れていて夜は使うことが出来ません。
仕方がなしに大用に入るのですが、これが和式ですから一苦労です。
尻を蚊に刺されたくないので尻を出さずに前かがみに便器を目指して放射するのですが、この間も蚊は容赦なく顔や首元や手足に吸血鬼の様に噛みついてくるのです。
 
風呂は狭くて古っぽいステンレス製のものでしたが、一番湯であるにも拘らすプカプカと浮遊物が僕を小馬鹿にするように文字通り浮いたり沈んだりし遊び戯れているのです。春とは言え大変蒸し暑い日でしたのでエアコンを入れたのですが直ぐに雨漏りの様に水が垂れ落ち始めました。灰皿だけでは受け止めきれず下に入浴の際に使ったタオルを敷きました。
 
それでも疲れていたので直ぐに眠りに就くことが出来たのですが、朝方やけに身体がチクチクするので目が覚めてしまいました。
布団を剥がしてみるとその中に葉のついた幹の太いほうき草のようなものが入っていて愕然としてしまいました。
このあとエアコンの下のタオルをみて唖然としてしまいます。(この時BGMにハイドンが流れていても何の反応も出来ないほどの驚愕でした) 
前日の入浴時には気付かなかったのですが、それはぼろぼろの雑巾のようなもので何だかキツネや狸に化かされているような気分です。
実際四国には狸に纏わる民話も多く、「子供のころに狸に化かされんようにと狸汁を食べさせられた」と言う話をよく耳にします。
私の泊った徳島の民宿では狸汁を700円で提供していました。
 
何だかとんでもない宿に当たってしまったのだなと思われるかもしれませんが、不思議な事に食事はまともでしたし、接待(四国では遍路をもてなすことをこう言うのです)で洗濯もしてくれました。 という訳で酷い宿でしたが印象は悪くないのです。
 
最後になりますが僕が本当に狐か狸に化かされたのか、それとも実は夢遊病に罹っていて夜中にタオルを持って草叢の中を彷徨っていたのか、それとも単に宿の手落ちなのかそれは不明ですし未だにしっくりきていません。
常識的には三番目の説が正しいということになりかねませんが、冗談抜に一番目や二番目の説も有り得る気がして仕方がありません。
 
 

鎌倉湯日記 事のはじまり

 

先日お湯の学校から話があり、銭湯のことを考えてみた。 

 

最後に行ったのは一体何時頃だっただろうか。

 

はっきりとした記憶はないが二三十年は行ってないような気がする。 

スーパー銭湯に行くことはあっても銭湯は鼻から無視してきた。

考えるに、学生時代から10年程は銭湯に通い続けた筈だが不思議なことに一軒を除いてほとんど記憶にない。

少なくとも十軒以上は行っている筈なのに大学一年の時に通っていた銭湯以外の記憶が全く欠落しているのだ。

この一軒が特別個性的であったわけではない。 だとすれば一体何故なのだろう。

いくら頭を叩いてみても振ってみてもただ脳の襞の間から微かに出てくるのは

黄色い樹脂製の桶の底の「ケロリン」という赤い文字の記憶だけである。

 

鎌倉に住むようになって五年程経った。 

私の住まいは鎌倉の山の中で最寄りのバス停の名前も山の上ロータリーという程辺鄙なところである。

人里離れてるとまでは言わないが、酒屋に三里豆腐屋に二里という諺が的を得ているような土地である。

こんなところに銭湯など望める筈もない。

やがて、鎌倉にはどれほどの銭湯があるのだろうかという疑問が沸いて(湧い)てきた。 

調べてみたところたったの五件しかない。

一軒が材木座に、残りの四軒は大船周辺に集中している。 

鎌倉を三方を山に囲まれた・・・などと定義しているとたったの一軒になってしまう。

とんでもない銭湯過疎地帯である。

 

この時私は自分が銭湯から鼻っから相手にされていない生活をしていることを悟り少し落ち込んだ。

落ち込んでいてもミッションは果たせないので本丸は最後に残して外堀から攻めていくことにした。

 

鎌倉湯日記番外編 〜あチャー登場〜

 

 

まだまだ暑い日が続きます。

 

こんな時は冷たい水風呂に浸かり西瓜も一緒に風呂桶に浮かべて涼を取るに限ります。

人が見たらどう思うかなどと気にせず冷水浴をお楽しみ下さい。

 

さて、西瓜のことを考えていたら短編が出来てしまいました。

貴殿が熱中し過ぎて熱中症にならぬように

出来るだけ下らぬものを書いてみましたのでご安心の程を。

 

 

じりじりと灼熱太陽焼ける夏、あいつがここにやってくる。

西瓜の季節にやってくる。

夜になり静まり返るの待っている。

左右きょろきょろ見回して四つん這いで忍び込む。

西瓜畑に忍び込む。

指先使ってトントンと熟れてる果実品定め。

目指す西瓜を見つけたら突然二足で立ち上がる。

よっこらしょっと立ち上がる。

重たい果実を抱え込み畑を走って逃げていく。

西瓜泥棒ここにあり。

チャーとは獣か妖怪か。

正体誰も知らないが西瓜の季節の風物詩。

チャーが畑にやってくる。

夏がくる度おもいだす。

チャーと西瓜の物語。


高校一年生だった頃のことである。たまたま機会があって生徒会主催の合宿に参加した。 

放課後図書館に足を運ぶとそこに生徒会の役員が犇めきあっていた。

こんなところで何をやっているのであろうか。

僕は左上45度程のところを眺めるように眼球を動かし両腕を組んでみたりあるいは右手人差し指を

蟀谷付近に押し当てながら思案してみたが検討がつかない。

なにか良からぬ事を相談しているらしい。

普段生徒会行事などには何の関心も起こらないのだが、こういう事ならちと事情が異なってくる。

興味が津津(しんしん)と沸きだしはじめた。

僕は匍匐(ほふく)前進しながら背後からそっとその群に近づいて蛇のようにニョロニョロとその中に潜り込んだ。

どうやら生徒会役員とクラスの委員との交流を諮るために合宿をしようという話である。

街中を流れる川の上流にある田舎の小学校の校舎を借りることができたというのである。

自分たちだけ遊びに行こうとしてやがるなどとぶつぶつと唇を動かしていると、「曲者」という大声とともに

一人の役員が僕の方を指さしていた。

驚きとともに僕は左右を見渡してみたが見えるのは多くの足ばかりである。

どうやら曲者とは僕のことであるらしい。

ステージの真ん中でスポットライトが当てられた一人芝居の役者のようになってしまった。

一体どうして見つかってしまったのだろう。

僕は蛇の様に身体をくねらしてうつ伏せのまま頬杖をつきながら話を聞いていた。

大胆に思うかも知れないがこういう闖入者は意外にも周囲から気付かれないものである。

灯台下暗しというではないか。

こいつらみんなアホだから気付く筈がないだろうと高を括っていたのだ。

そのとき突然指をさされたのである。

この場を如何にして乗り越えるべきか。

一行の台詞も覚えずして舞台に上った役者はなかなか最初の一言が口に出せずにいた。

なんとかアドリブでこの窮地を脱しないといけないのだが極度の緊張で頭の中は真っ白である。

「僕の頭はいつもはゆるくて生暖かいのですが、今は急速冷凍、フリーズしています」

こんな事を言って笑わせておいてその隙に逃げようかとも思ったが、受けなかったらどうしよう。

僕は学校中の笑い物にされるに違いない。

次に取る手を考えておかないとなどと一人焦っていた。

客席から聞こえる罵声に耐えながら尚も沈黙を続けていると役員席から声が飛んできた。

僕は観念して目を瞑った。

暗い闇の底へ落ちようとしていたときに耳に入ってきたのは意外な言葉だった。

「おまえも参加するか。だったらお前はまな板を持ってこい」

僕は抵抗する暇もなく「はい、分かりました」と答えていた。

かくして僕は部外者でありながら一般生徒の知らない生徒会の自分たちだけが楽しむ秘密合宿に

参加する事になったのである。

バスの行き先は覚えていない。

日に数本しかバスが走っていないようなそんな辺鄙なところ行きのバスに乗り込み僕たちは山奥に入っていった。

バスを降りて僕たちは草や木の枝をかき分けながら山道を入っていったと言えば嘘になるがそんな気分で

田舎道を分校に向かった。

教室が一つか二つほどしかない小さな校舎に猫の額ほどのグランドがあった。

いくら小さいとはいえ学校のグランドである。

猫に例えたのは間違えだったかもしれない。

ただ田舎の分校などを見たことがなかった僕にはそれは恐ろしく小さな物に思われた。

到着後僕たちは担当割りをしそれぞれの仕事に取りかかった。

担当割りとは言ってもみんな食事に関する事ばかりだった様な気がする。

何故なら僕たちはここへは飲み食いするために来た様な物だった。

夕食を食らい、キャンプファイヤーをやり翌日朝食を食べて帰るのが主たる目的である。

キャンプファイヤーの薪を集めたり火の始末をする以外には食い物関係の仕事しかない。

ただ外泊をして自分たちで食事の準備をするというのは楽しかった。

校舎の側面から2、3mほど斜面を下ったところに渓流が流れていてそこで果物やジュース類を冷やすことにした。

たしか二班に分かれて別々のところで水に漬けた。

石で囲いを作りそこに僕たちはジュースやパイナップルを置いた。

もう一班では同じように西瓜を置いたのだ。

そのあと僕たちは持ち場に戻り夕食の準備を始めた。

このとき夕食になにを作ったなどと説明するのは野暮である。

キャンプの初日の夕食メニューには定番があり日本中のみんながそれを遵守しているからである。

中には被国民もいて違う物を作る輩も居るやもしれぬが、それは金曜日に海上自衛隊でカレー以外の物を

食べるくらい希なことなのである。

然るべくして我々はカレーを食った。

絶対に旨い筈などないのだが、不味かったという記憶がないのだから不思議である。

 

キャンプと言えばやはりメインイベントはキャンプファイヤーである。

食後の楽しみに気が取られて味など二の次だったのかも知れない。

高校生位の若い男女にとってキャンプファイヤーは火遊び入門編とも言うべきものである。

めらめらと燃え上がる焔(ほむら)の熱気とともに体中からフェロモンを振りまき異性を引きつける

ことだけに専念し始める。

みんな目をぎらぎらと輝かせながら落ち着きをなくしている。

生憎僕は川の中で悴(かじか)んでひとり寂しく震えている西瓜にしか関心がない。

だからと言って三度の女より西瓜好きな訳でもない。

ただ僕の目に叶うほどのものがないだけである。

正直言って一人だけ居たのだが相手は一級上の二年生である。

それに既に高二にもなって声変わりもしていない小柄な男女(おとこおんな)のような紐がくっついていた

といえば僕の心が西瓜だけに捕らわれていたのも理解していただけるだろうか。

漆黒の闇夜の中で炎が照らし出すのはどんよりとした目つきをした男女たちばかりである。

まるで催眠術にでもかけられているように我を忘れてしまっている。

ただ炎の周りに漂うフェロモンをもとめてふらふらと薪の周りを彷徨うばかりである。

こんな体たらくであるので奇異な鳴き声に気付いたのは僕を除いてほんの数人だった。

ぱちぱちと鳴りながら砕け燃えていく薪の音の向こうに微かに獣の鳴き声のようなものが聞こえたのだ。

表記するのは難しいが僕には何やらチャーと鳴いてるようにも聞こえた。

「あれはいったい何の鳴き声なんだ」僕は近くにいた伊藤に聞いてみた。

彼はフェロモンの輪の中には加わらず魯迅の小説を読んでいた。

性欲がないのかそれとも最初から諦めていたのか良くは分からないが数少ない正気な人間の一人だった。

文庫本の角を折りページを閉じた。

「いや、気付かなかった」そういい終わる前に再び鳴き声がした。

「とにかく鳴き声のする方へ行ってみよう」再び口を開けた伊藤はそう提案した。

フェロモン感染症で思考力を失ってなかったのは僕と伊藤を含めて僅か5名だけだったが、

懐中電灯を握りしめ闇の中の探索を始めた。

鳴き声のしたのは川の方だった。

そこで僕たちは飲み物や果物を冷やしていた。

食い荒らされていないだろうか、そんな不安が頭をよぎった。

辺り一帯を照らしてみたがそれは危惧に終わったようである。

飲み物だけでなくパイナップルは無事である。

そのとき「西瓜が失なっているぞ」と叫ぶ声がした。

駆けつけてみると確かに西瓜だけ姿を消している。

ここでは桃や葡萄なども一緒に冷やされていたのだ。

それらすべて無事である。

不思議なことに西瓜だけがその姿を消していたのである。

村の子供に盗まれたのではないかという意見も上がったがこの辺りの子供たちにとって西瓜は

盗むほどの価値あるものだとも思えないしそれに他の果実やジュース類は無事である。

動物に荒らされたのならばそれなりに現場は荒らされている筈である。

そんなとき伊藤が「チャー」と言った。

チャーとは獣偏に査と書く。

どうやら魯迅先生の造字らしいが、土竜と訳したものもあれば、ただチャーと記した訳もある。

出身地の紹興で農民がチャーと呼んでいる動物を魯陣が造字で当てたとも言われている。

穴熊の類であるという解説を付けたものもあるらしい。

そのとき伊藤が読んでいた本にはチャーが西瓜を盗みに畑に現れるとだけ書いてあった。

この表現をみて僕には動物が畑を荒らしているというイメージは想い浮かばなかった。

ただ僕の脳裏では鼬のような動物が前足で西瓜を抱き抱え(だきかかえ)直立したままこそ泥よろしく

畑を横切り逃げていく姿であった。

この泥棒の鳴き声はきっとチャーと聞こえるのであろう。

少なくても紹興の農民たちにはチャーと聞こえたに違いない。

その夏僕たちの西瓜はチャーに盗まれた。

チャーはそれを前足でしっかり抱き抱え必死で川を横切りながら逃げていったに違いない。

その姿を目にすることは出来なかったが、それはメルヘンチックな僕の夏の日の思い出である。

 

*僕はミュージシャンのチャーにはあったことはありますが、この話に登場するチャーには遭遇したことはなく、

チャー及び登場人物は架空の存在であることをお断りいたします。

 

(鎌倉生まれの)テルマエたぬき[10]

 

今は2012年5月下旬である。

最後に鹿の湯を訪れてから半年以上経過している。

いつもここにはお昼頃通っていたのだが、今日は夕刻に訪れた。

以前は節電のため営業時間が短縮されていたがまた元の時間に戻されている。

午後4時頃到着した。 まだたっぷりと2時間ほど残されている。 焦る必要はない。

ゆっくりと温泉の効能を確かめる為に身体の痛いところを無理矢理探してみた。

那須に来なかった半年の間に日本橋から名古屋の宮(熱田神宮付近)迄歩きさらに四国巡礼も

1番札所から22番札所までを歩いた。

そのせいか右足の甲のあたりに異常な痛みが出るようになっている。

鹿の湯の効能に期待が高まった。

脱衣室に入ると急に懐かしさがこみ上げてきた。

横目で一番奥手にある湯船の付近を眺めてみた。

いつもは老人会のメンバーに化けた狸たちでごった返しになっているところである。

何故かあまり人が多くない。 適度に六つの湯船の周辺にばらけているのである。

衣類をはぎ取りすぐに階段を降り、打たせ湯を浴びて浴槽に向かった。

何故か手前右側の湯船に湯揉み板が浮かんでいる。 

此処は42度に設定されている筈なのに何故だろう。 そんな疑問が浮かんだ。

今日は42度から入ろうかと思ったが、意に反し足は41度の浴槽に向かった。

やはりそれが私のルーティーンのようである。

この温いお湯から徐々に身体を暖めて行くに限る。

暫くお湯に浸かり42度の湯に移動しようとしたときのこと47.1度との貼り紙が壁にあるのが目に入った。

いきなりこの湯船に足を入れなくて良かったと命拾いした思いがした。

慌ててそれぞれの浴槽の辺りを見渡してみた。 43度の所はそのままである。

44度であったところは44.5度、46度だった所は44.1度、48度だった所には44.5度という貼り紙があった。

私見ではあるが、温泉の効能は高温の方が高いのではないだろうか。

それで老人会の化け狸どもがいつもの場所に集まらないのであろう。

出入り口付近に高温の浴槽はあるのだが流石に人の出入りの多い場所では正体を見破られかねなくて

落ち着かないのかも知れない。 此処にはほとんど人気がない。

 

狸は一体どこに行ってしまったのだろうか。

私は44.5度の湯船の中から浴室内を歩き回る人たちの股間目指して熱い視線を流した。

断っておくが股間に興味があって熱い視線を流したのではない。

湯船からの熱が伝わって、冷えきった筈の私の視線も熱くなってしまったに過ぎない。

言い訳はともかく、股間から大きく垂れ下がるほどの陰嚢を持つものはほとんどいない。

これでは国芳先生もがっかりされているに違いない。

ただ一人恰幅の良い狸体型の初老の男の股間からはみ出したものが15cmほど垂れ下がりぶらぶらしていた。

この男が狸なのかどうかは解らない。

仮に狸だとしてもこれでは恐らく落ちこぼれの類であると言わざるを得ない。

 

壁には、大雨のため源泉の温度が下がっていますとの断り書きがあった。

当分の間狸は此処には戻って来ないことであろう。

それでは一体どこに行ってしまったのであろうか。

ただ春の夜(昼間だけど)の夢の如しとでも言うべきか。

しかれども風の噂では集団で鎌倉に移動したとのことである。

これもただ今展開中の小説に登場するために。

 

テルマエたぬき完了


このお話は基本的に事実をベースに書かれています。

ただ若干の妄想と誇張で脚色されていますことをお断りしておきます。

(鎌倉生まれの)テルマエたぬき[9]

 

鹿の湯の老人たちがたぬきであると考えるとすべての謎か解ける。

1300年前に人間がこの地に入植して以来たぬきを始めとする野生の動物達は鹿の湯を追い出されてしまった。

震災以降湯治客が激減してしまったのでたぬき達もここのお湯に忍び込みやすくなったのではないだろうか。

元はといえばここは彼らの湯場であったのだ。

シオニズムならぬタヌキイズムで彼らがここに回帰しようとしたとしても何の不思議もない。

加えてここは異種雌雄入り乱れての混浴だったのである。

何で狸が男湯、女湯を区別して利用する必要があろうか。

ただここを利用するに当たって老人に化ける必要がある。

雄狸は別にして雌狸は外観を男にする必要がある。

その陰部が偽物にしか見えなかった理由はここにあるのである。

また、老人がやけに艶めかしく見えたのも恐らくは若い娘娘(にゃんにゃん)狸が化けていたせいであろう。

残念だ。 惜しいことをしたものである。

そうだとわかっていれば穴が開くほどに眺めたやったものを。

「ぐぇー、ぐぇー、ぐぇー」これは狸語で「いやーん、変態」という意味である。

流石にここまで来るとノンフィクションとは言い難くなるが、基本は事実である。

 

期せずしてテルマエたぬきも終焉を迎えそうになってしまい焦っている。

八日目の蝉に対抗して八日目の茹で蛸を目指していたのだが三日目の茹で蛸の辺りで話が急展開、

終わりに向かってしまった。

実際にはこの湯には十数回は通っているのである。

もっと話を引き延ばしたかったのに突然降板させられそうになったという感じである。

これも狸の陰謀なのであろうか。

流れに逆らっても仕方がないので素直に身を引くことにしたいのだが、次回は鹿の湯の後日談をお伝えしたい。

 

 

いよいよ次回は最終回。 乞うご期待!

 

 

〜チムジルパン体験記〜

先日、釜山でチムジルバンを体験してきました。

オプションで注文したタコ鍋の夕食に付録のようにくっ付いていたのですが、何のことか分からず???

ホテルのエントランスのようなところで車を降り中に入るとそこは天井が高く聳え床は大理石、周りに見えるのは

ヴィトンやエルメス、シャネルなどのブースといった高級デパートの一角である。

周りをキョロキョロ眺め落ち着きのない私は一目で田舎者のイルボン人だと思われたに違いない。

エスカレーターで二階に上がりそこからエレベーターで更なる上層階に行ったような気がする。(残念ながらあまりよく覚えていないのだが) 

フロントで受け付け終了後にガイドからロッカーのキーを渡され「えっ、えっ?」と狼狽える。

ガイドは時計を見ながら「えー、そうですね。 

それでは1時間20分後に1階のエントランス付近で待っています。

ゆっくり汗を流してきてください」といって姿をくらませてしまった。

 

どうやら、ここは韓国のテルマエらしい。

すべてがゴージャスに作られていてゆったり広々としているのが素晴らしい。

ロッカーで館内着に着替えウロウロと探検を始めた。 

エスキモーの住居のような半円形の石造りの建物がいくつか並んでいる。

これが汗蒸幕であることはすぐに分かった。 

行きつけの茅ヶ崎のスーパー銭湯にも、「のようなもの」があるからである。

すぐに扉を開けてみた。 中には女性ばかりが犇めき合っていて思わず「ごめんなさい」と言って扉を閉めた。

間違って女湯の扉を開けてしまったと思ったからである。 

暫くして自分の勘違いに気付いたのだがばつが悪いので他の汗蒸幕に入ることにした。

幸い中には誰もいなかった。 

 

ここは日本にあるものと違い温度設定が意外と低い。

64~5度と低温サウナよりも低い設定なのだが不思議なことに意外にも暑く感じる。 

突然扉が開き一人の若い女性が入ってきた。 

ちらりと顔を覗き込んだがなかなかの美人さんである。 

「うひゃひゃひゃ!」私は心の中で大いに喜んだ。 

全身を舐めまわすように眺めたいのはやまやまなのだが私は恥を知る人間なのでそのようなことはできない。 

あっちむいてホイの要領で全然関係ない方向に顔を向け必死で横目を使い彼女の顔を見ようとしたが

すぐに眼球が疲れてしまった。 

みじめに思えてきたので早々と外に出た。 

 

「最初に扉を開いた汗蒸幕に行けば思う存分Korean girls watchinng出来るではないか」と閃いた。 

私はルンルン気分でスキップをしながら汗蒸幕を目指した。 

館内で走るのはエチケット違反だがスキップなら許して貰えるだろう。 

最悪でもイルボン人は馬鹿だと侮蔑されるくらいのものであろう。

扉を開けると先ほどほど混み合ってはいない。 

中にもぐり込み涎を流しながら目を流し始めた。

But,where are my girls?  

Certainly a lot of women are here in this small space but I'm not so happy because they were actually women who used to be called a girl.  

失望する暇もなく1時間20分の時は過ぎ行き私は空しくチムジルバンを後にしたのである。

すべては春の日の夢に同じ、風の前の塵に同じであった。

 

帰国後鎌倉湯日記を見て驚いた。 

釜山に旅行中に時を同じくして釜山の李さんにハッキングされていたなんて。。。

でもあの煙突と同じものチムジルバンの館内着のパンツの中にもあったような気がするな・・・・

 

 

(鎌倉生まれの)テルマエたぬき[8]

 

夜になって昼間見た老人のことを考えてみた。

性転換を受けて男性化した婆さまなのだろうか。

それにしては皺も少なく妙に色香が漂っているの気になるところである。

知人にメールを送ってみようと思った。

流石に老人の性転換に関しては話題に出せなかったが、陰嚢の馬鹿でかさだけは伝えたくて仕方がなかった。

 

今那須に来ています。

鹿の湯という湯治場があるのですがその効能にはすごい物があります。

実はここに来る直前に右膝を痛めてしまい右足を引きずるようにしか歩けなくなっていました。

ところがこのお湯に入るや8割方の痛みが消えてしまい驚いています。

能書きには効能が現れるまでに2週間程度かかる旨記されていましたが、たった一度の入浴で

これほどの効能が現れるとは・・・

それから変わった光景を目にしました。

このお湯に来ている老人の陰嚢が実に奇妙なのです。

皆股間から20~30cm程度袋をぶら下げているのです。

東京や神奈川、千葉辺りの銭湯やスーパー銭湯では決して見たことがないだけに大変驚かされています。


1時間ほど後に返事が届いた。

それはまるで国芳のたぬき三昧ではないか。

たったこれだけの文面であったが数枚の写真を貼付してくれた。

なるほど歌川国芳は多くの狸絵を描いている。

狸の陰嚢(きんたま)八畳敷という諺の意味が分かった。

この返信メールをくれた知人こそ後にジョージユーカスを名乗るお湯の学校の管理人である。
斯くして私はこの人物のせいで急性狸中毒に感染してしまったのである。

ラクーン・ブレイク

〜今週のたぬき〜

 

 

四国は狸のお話の宝庫だと言う事ですが、徳島空港の土産屋に狸の人形(狸形じゃないのかな?)がチン列されていたので紹介します。早速股間に注目したのですが、な、ない! こいつは貉か? だけど変だな。 貉だって小っちゃい奴はついている筈。 三か月ほど悩みましたがやっと結論が出ました。 髭なんか生やしているので惑わされちゃいましたよ。 こいつら雌だったんですよ。 狸のものは大きくて、貉のものは小さいという自説が覆りそうになり焦りましたが、これでやっと枕を高くして眠れます。 この写真4月22日に撮ったものだって? ごめんなさい。 これは三秒で思いついたギャグでした。

 

それでは今週のテルマエ・たぬきはじまり、はじまり。 

 

協力:滑稽たぬき創作委員会                                               

http://kokkei-tanuki.jimdo.com/ 

 

 

 

(鎌倉生まれの)テルマエたぬき[7]

 

翌日、朝遅く目覚めて床の中で一日の行動予定を考えていた。

To go or not to go, that's a question!  

鹿の湯へ行くべきか否か、それが問題である。

断っておくが私には同性の爺さん達の股間に対する性的好奇心などさらさらない。

出来れば見たくはない。 それどころかまともに直視すると目が腐りそうである。

にも関わらず見ずにはいられないのは如何なる理由によるものか。

おそらく形質人類学(自然人類学)的好奇心が駆り立てられてしまうせいであろう。

つまり私の気分は「見たくない、見たくない、でも見てみたい」という複雑な感じなのである。

「見たくない」と叫びながら両手で目を覆い隠しながら指の隙間から覗き見して股間を膨らませる

というのとは些か様子が異なっている。

本当に嫌で仕方がないのだが人類学的探求心の為に犠牲者になることを潔しとしているにすぎないのである。

ここまで言ったら私が変態でないことを信じてもらえるだろうか。

そんなことをだらだら考え続けていたが、三日目の茹で蛸になる決心と共にようやくのことで床から

出ることが出来た。

この調子では八日目の茹で蛸になるまでずっとこんな状態が続きそうである。

あーっ、気が重たい。

 

午後になって鹿の湯に向かいやがて私は湯船の中の蛸になった。

頭から湯気が出始めた頃私はさりげなく顔を老人会の方へ向けた。

そして死んだ魚の目のように瞳をどんよりとさせてなにも考えていない様な振りを演じた。

「立て、立つんだ、ジョー。 そして私にそのふくよかな股間を披露しておくれ」

私はぶつぶつと唇を動かしながら念じ続けた。

そのとき一人の老人の肢体が目に入った。

妙に肌艶が良く皺も少なく他の老人とは違っている。

身体全体がやや丸みを帯びていて仄かな桜色をしているのだ。

まるで男のような気がしないのである。

この老人が立ち上がるのを待って股間に目をやった。

ドキ・ドキ・ドキ・ドキ激しい心臓の鼓動音と供にぢぢいの股間がクローズアップされていく。

不思議なことに(いやこの方がむしろ正常なのだが)陰嚢が大袈裟に垂れ下がっていない。

だが大きく垂れ下がる陰嚢以上に私を驚かせる物をこのぢぢいは持っていたのである。

つい言葉をはばかりたくなってしまうのだが、学術的見地から正確に描写したい。

その陰茎が異様なのである。

太くて長い円柱形の物がほぼ垂直に真下にぶら下がっている。

これだけでは「立派な逸物をお持ちですな」の一言で終わってしまう。

では、どこがどう違うのか。最大の違いはその質感である。

どうも人間の身体の一部である様には思えない。

まるで蝋細工を思わせるような艶であり色をしている。

形も些か人工的である。 それには有機的な感じが全くないのである。

この老人は性転換でも施したのであろうか。 そう考えると合点がいく。

だとするとこの老人は男湯に忍び込んだ闖入者ではないだろうか。

「こ奴の視線に嘗め回されないようにしないといけない。」

そういう警戒心が湧いてしまい落ち着いて老人たちの股間に目を遣る余裕がなくなったので

この日は早めに鹿の湯を後にしたのであった。

 

ラクーン・ブレイク

〜今となっては今週ではない過去の狸〜

 

善光寺参道で見つけた狸もどき

「むじな地蔵」という名が付いていたので

本当は狸ではなくアナグマの類なんでしょうが、たぬきのことをムジナという地方もあるようですので拡大解釈をして載せてみました。

因みにタヌキとムジナの見分け方は陰嚢の

大きさで判断するようです。下の写真はジョージユーカス氏が何処かで撮影した来たものです。 ムジナとは違って、その大きさが分かるかと思います。福田さんならきっと「あなたとは違うんです」と言うことでしょう。

(鎌倉生まれの)テルマエたぬき[6]

 

翌日も私は鹿の湯に遣ってきた。 相変わらず43、44度辺りの湯船を彷徨いていた。

48度は懲り懲りだけど、46度には未練が残る。

というか44度に何か物足りなさのような物を感じ始めていたと言った方が適切かも知れない。

昨日同様46度の浴槽の周りは老人会に占領されている。

浴槽が空いた一瞬を見逃さずそっと足を忍ばせた。

高温の湯船には腫れ物に触るようにそっとデリケートに入るのがルールになっている。

そのような注意書きも壁に貼られている。

お湯に入るときに波を立ててしまうと湯船に残された人たちがとんでもない思いをすることになるのである。

熱湯の波が身体に押し寄せて来ると、まさに地獄である。

この熱さをどう表現すればよいのか、辞書を捲ってみる。

炎熱地獄や焦熱地獄でもなければ阿鼻地獄でもない。

女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)、なんだかすさまじい感じの地獄があるではないか。

これを以てこの湯を形容したいのはやまやまだが、ここは男湯、殺されるのは爺さんだけである。

どうもふさわしくないなどと下らぬことを延々と書き連ねたくなるほどお湯の熱波はすさまじい。
程なく蛸は茹で上げられた。 二日目の茹で蛸である。

顔中から湯気を立ち上らせ、肩で大きく息をしながら蛸は老人会の方に視線を向けた。

不思議なことに誰一人として顔を真っ赤にした者はいない。

私一人が那須の山奥の湯治場で熱気でおかしくなって大騒ぎしているのだろうか。

 

このとき私は一瞬自分の目を疑った。

老人の股間から何か20~30cm程の物がぶら下がっているのである。

よく見ると陰嚢のようである。

それにしてもよく延びきっていると言おうか、まるで人のもの様ではない。

また一人老人が立ち上がった。

やはり股間から30cm程ぶら下げているものがある。

都内や首都圏の銭湯、スーパー銭湯、健康ランドの類でこの様な光景を目にしたことはない。

私に老人の股間を眺める趣味はないのだが立ち上がる老人たちの下腹部に熱い視線を送らざるを得ないのだ。

いや、本当に老人の股間には何の興味もないのですよ。 

人間って本心とは違う行動をするじゃないですか。

えーっと、そうですね・・・たとえば、ここが混浴だとして立ち上がったのが若い女性だったとしましょう。

私は間違いなく目を逸らします。

横目でチラチラと見たりなんかしません。 あなたとは違うんです。(福田さんみたいでしょ) 

もちろん本音では見たいかも知れませんよ。 でも絶対見ない。

ところが逆に爺様の股間など例え金をくれても見たくなんかない。

それでも私がそこに視線を送るのは、生物学的好奇心からなんですよ。 

これって学術誌に発表できるほどの大発見かもしれないでしょう。

「誰も何にも言っていないのに一人で言い訳するなんて変だぜ、旦那」

メフィストが耳元で囁くのを聞いて、私は慌てて鹿の湯を後にした。

(鎌倉生まれの)テルマエたぬき[5]

 

私は暫く48度の浴槽の前でのぼせていた。

本当は床の上に伏せてしまいたいのだが、硫化水素が滞留していて危険である。

実際に横たたわっている人も見受けられるが、見つかるとこっぴどく注意をされる。

管理人の目を盗んで伏臥したい気持ちなのだが、茹で蛸には実行に移すだけの

勇気も気力も残されていない。

幸いなことに此処は老人会に占領されていない。

こういう事を狐福と言うのだろうか等と考えていたときの事である。

一人の中年男性が大胆にも湯船に身を浸した。

なに食わぬ顔をして寡黙にお湯に浸かっている。

確実に3分が経過したと思われるころ上がってきた。

これに反応するかのように私は湯船の中の人となった。

最低でも30秒は入っていようと思ったのだが、いきなり全身に針が刺されたような痛みを感じた。

同時に一万本程刺された気分になる。

急遽方針を変更し10秒、いやカウント10にして、いちにいさんしいごおろくしちはちきゅうじゅうと言う

叫び声を上げながらお湯から飛び出したのである。

私はステージでスポットライトを浴びるリッキー・マーチンになった。

私の言わんとする事を理解いただけただろうか? わからない? 

仕方がない、安っぽくなるが表現を変える。

リッキー・マーチンを郷ひろみに置き替えてみれば解るであろう。

つまり、アッ・チ・チ・・・昭和ギャグと揶揄嘲弄することなかれ。

馬鹿には古き良き昭和の雅趣が理解出来ぬものとみえる。

私の叫び声を聞いて中年男性が声を掛けてきた。

「流石にこの温度になると最初は10秒も入っていられるものではありませんよ。わたしもそうでしたよ。

でもここのお湯はとっても効能があるし、草津と双璧ですよ。」

「はあ、そうですか。でも私は10秒も入っていられませんでした。ハハハ。」

とても雅致と言える光景ではなかった筈だ。

(鎌倉生まれの)テルマエたぬき[4]

 

翌日も私は鹿の湯へやってきた。

鹿が傷を癒すために入浴していたと言う話は真実なのかも知れない。

私の中ではそれは確信に変わりつつあった。

 

徐々に温度を上げていき44度の浴槽に浸りながら対角線状の46度の浴槽の辺りを観察し続けた。

それにしても一体なぜ老人たちはここに集中しているのだろうか。

浴槽の周りには私が腰掛けるスペースは残されていない。

浴槽から人が出た隙に素早く浴槽に潜り込む以外に残された道はなさそうである。

 

私は虎視眈々と浴槽を睨み続け、老人が湯船から上がる瞬間にお湯の中に飛び込んだ。

熱い。 これが私の第一声である。

もっともこれは声に出さぬ心の声であったが。 それにしても予想に反し躊躇することなく一気に

肩まで浸かる事が出来たのは驚きであった。

入った以上は三分間ほどは我慢しなければならない。

心の中でカウントをはじめる。

いち、にい、さん・・・刻むスピードがどんどん速まり時間を計って入るのではなく、

早く180までカウントしお湯から出たいという願望に変わってしまっている。

声には出していないのだが心の中で口早に数字を読み上げる。

まだ百にも到達していない。

長い、まるで朝からお湯に浸かっている気分である。

カウント180に至る道は果てしなく遠いのだ。

 

もうここまで来れば熱いのを通り越して痛い以外の何物でもなくなってしまっている。

特に皮膚の薄いところ、言葉をはばかってしまうが陰嚢の辺りがチクチクと針に刺された

かのように痛むのである。

私の玉は水中で完全に針鼠と化し、顔は茹で蛸のように真っ赤である。

もういくつ寝るとお正月という童謡があるが、180の向こう側にある世界が恋しくてたまらない。。。

 

簀の子に打ち上げられた茹で蛸はぜいぜいいいながら肩で息をしている。

この施設の主人とおぼしき人物が、浴槽ごとに電極のような棒をお湯に入れて検温を始めた。

「うーん、47度まで行っているな。」と呟き注入するお湯の量を調整し始めた。

やっぱり3度差は身体に堪える。

茹で蛸の目から涙が頬を伝わり落ちていった。

壁に数えうたの歌詞が掲げられている。

最初は50度でよ、最後は52度でよ。等と書かれた一節がある。

湯揉みせずに放置しておくとどんどん温度が上がってしまうらしい。

 

(鎌倉生まれの)テルマエたぬき[3]

 

湯船を移動しているときに奇妙な事に気づいた。

浴室内の大半の人が一番奥の左側の湯船、つまり46度の浴槽の周りに集まっているのである。

この集落の老人会の会合でも催されているのだろうか。

まるでそのような様子なのである。

そこには外部の人間が入り込みにくそうな空気が漂っているからである。

実際に漂っているのは硫化水素なのだが。。。

人見知りしない気さくな人なら平気でこの輪に加わる事が出来るかも知れないが、私にはその勇気がない。

もっとも私が46度のお湯に浸かれるとも思えない。

 44度のお湯に入っていることすら奇跡に近いのである。

これとて1度温度を上げていった結果である。

この先からは2度刻みであり身体が順応出来るはずもない。

老人の群の中に紛れ込むことは私にとって一夏を灼熱のタクラマカン砂漠で過ごすにも等しい

事のように思われた。

それでも那須滞在中にその未知なる領域に足を踏み入れてみたいという怖い物見たさ的な

スケベ心は捨てきれないでいた。

 

ここにはゆで卵の腐ったような強い硫黄の臭気がある。

実はこれは硫化水素臭いである。

毒性が強く長居をすると身体によくない。

そう思い湯船から出ようとしたときになってやっと気づいたことがある。

数日前から私の右膝には激痛が走り、右足を引きずりながらここに遣ってきたのである。

ところが一体どうしたというのだ。

湯船から平気で上がれたのである。

それどころか膝の痛みを忘れてしまっていて何度も湯船を移動し続けていたのである。

合計7、8回も湯船を移動しただろうか。

しかし痛みに全く気づかなかったのである。

効能が現れるのは2週間程度後からという能書きがあったが、いくら私が単純に出来ているとは言え

わずか一回の入浴で効能を得られるとは大変な驚きであった。

 

 

(鎌倉生まれの)テルマエたぬき[2]

 

長年鹿の湯の存在を知りながら一度も足を運ぶことがなかった。

偏見が無かったかと言えば嘘になる。 

途轍もなく熱いお湯のように思われたから気後れしていたのである。

湯揉板なんかがありこれでお湯をかき混ぜてからでないと入ることが出来ない草津温泉なんかと

同じイメージである。

私は銭湯に出かけてそこのお湯が熱いと憂鬱になってしまう。

つまりぬるま湯が大好きなのだ。 人生においてもそれを実践してきたほどである。

そんな私が何が悲しくて煮沸する熱湯に身を晒さなければならないのか。

かくなる理由で鹿の湯を遠ざけてきたのである。

ところが三件も連続で入浴を断られた私には極限に近いほどのアドレナリンが注入されており

尋常ならざる状態だった。 

 加えて長らく股間も洗っていなかったのだ。

お股を石鹸でごしごし擦る姿を想像しながら鹿の湯に飛び込んだのである。

 

靴をぬいで入浴料400円を支払い、川を跨ぐように作られた渡し廊下を進むと浴室に到着する。

向かって右側が男湯、左側が女湯である。

若い女性は来ていないようなので丸秘潜入ルポは取りやめにする。

そんなに残念がらずに男湯の話にも耳を傾けて頂きたい物である。

入り口を入ると狭い脱衣室になっていて棚の上に樹脂製のカゴが置かれている。

特に間仕切り等で区切られているわけではない。

更衣室からみて左右に階段が配され中央部分に板壁はあるのだが。

この壁の上部に温泉の効能が記されている。

長時間の入浴は危険であるとか、効能は湯治を始めて2週間後くらいから現れるとかそういう

類の事が書いてある。

 

横の階段を2、3段降りたところからが浴室である。

足湯と打たせ湯がありここで準備に備えろということらしい。

床は木製で簀の子状になっていてここをくり貫くように1.5m四方程度の浴槽が二軒長屋のように

対になって三列ならんでいる。 つまり合計六つの浴槽が配されているのである。

手前から41度、42度、43度、44度と1度ずつ上がっていき最後は46度、48度の2度刻みになる。

ぬるま湯人生を送ってきた私には43度位が限界であるように思えたのだが順番に入っていくと

 44度の浴槽にまで到達する事が出来たのである。

 

 

(鎌倉生まれの) テルマエたぬき[1]

 

むかしむかし

いまから一年ほどまえの事だけど、

身体の節々に痛みを感じていたので何処か温泉にでも行って湯治したいと思っておった。

 

縁あって那須には20年ほど前から毎年4、5回訪れているのだが、行きつけの公共温泉が改装工事のために利用出来なくなっていた。 近くの観光ホテルや温泉旅館で日帰り入浴しても構わないのだが値段が高く癪である。

何処か安くて適当なところはないものか。 インターネットで調べてみたところ数件の候補が見つかった。

タオル片手に浮き浮き気分で愛車を飛ばした。 翼こそ付いていないが浮かれ気分の愛車はファントム戦闘機の

ごとく那須高原をぶっ飛んだ。 道に迷いながら辿り着いた温泉宿には「当分の間休業させて頂きます」との札が

掛けられていた。 仕方がない他の宿に行くしかない。 もはや浮かれ気分では無くなっていたが、それでも愛車はぶっ飛んだ。 「もうすぐ俺の身体は癒される。」そう思うと愛車の前立腺部分に軽い戦慄を感じるのだった。 ちょっとでも刺激を与えるともうどうなるか分からない。 ??? 

マフラーに微かに振動を感じながら心地よく疾走したという意味である。 勘違いしないで頂きたい。

二件目の温泉宿が見えてきた。 閑散としていて人気がない。 この宿にも同様に「当分の間休業させて頂きます」との札がぶら下げられていた。 眉間に皺を寄せながらファントムは三軒目の宿に向かった。 この宿にも同様に休業を謳う貼り紙が見受けられる。

「これは違法カルテルではないか。」 激しい憤りが込み上げてくるのに呼応して青筋が浮かび上がる。

「あ、怖っ!」  これではまるで般若の面のごときである。

 

3.11東日本大震災の残した爪痕は大きく、ここ那須も閑散としている。 多くの宿が経営不振に陥り店(?)を閉めたままなのである。 震災の被害者に対し般若面を晒すことなど、およそ人のすることではない。 それは鬼のなすことである。。。 「 ほざきたければほざくがよい。 どうせ俺は鬼だよ。 もっとも体型は豚だけどね。。。。」

 

このとき私は那須湯本に鹿の湯という湯治場があるのを思い出した。

1300年ほど前のことである。 猟師が鹿を追って山奥に入り込んだところ鹿は傷ついた身体をここの温泉に浸かって癒していたというのである。 もしかするとこの時、猟師と鹿の眉は唾で濡れていたのかも知れない。 だけどそれでは話が続かないので一先ずこの話を信じることにしたい。

 

那須街道を茶臼岳(那須岳)目指して登って行くと山の中腹辺りに那須湯本という温泉街がある。 この集落の奥を右に大きく回り込むように道は伸びる。 この道がカーブする手前に鹿の湯はある。 道を隔ててこれより先は深い森になっていて山頂に至るまで人の住むところではない。

そこは野生の動物と物の怪のみの住む世界である。

嘗ては湯本もまた人の住む世界ではなかったに違いない。

多くの動物たちがこの地で雄雌の区別なく大胆に種をも超える大混浴を楽しんでいたことであろう。

その噂を聞きつけての事だろうか、一人の猟師が雌鹿の尻を追いかけてこの地に迷い込んだのである。

猟師は非常に凶暴で雌鹿を傷つけることに快感を覚えていた。 そして傷ついた雌鹿と異種混浴温泉を楽しんでいたものと推測される。 ここで猟師は神を冒涜するような行為すら雌鹿に対して行っていたのかもしれない。

それでもここは人目につかぬ秘境ゆえ両者は何憚ることことなく温泉逢瀬を楽むことが出来た。

 

ところがある日これを羨ましそうに見つめる目があった。

この地に迷い込んだ修行者、おそらく山伏のごときものであろうが、木陰からこっそり覗き見をしていたのだが

運悪く入浴中の猿と目を合わせてしまったのである。

猿が大げさに騒ぐものだから入浴中の他のものも不審者の闖入に気付いてしまった。

猟師は慌てて股間を両手で覆い隠し逃げるように山を降りてしまった。

残された動物たちたちも恥ずかしさのあまり股間こそ隠しはしないが山奥に逃げ込んでしまった。

 

以後この温泉は人の知る所となりこの地に入植し集落が出来上がった。

哀れなのは動物たちである。 草木の陰から人間たちが入浴するのを恨めしそうに眺める以外するすべが

なくなってしまったのである。 

そして1300年の時が過ぎていった。

鎌倉銭湯事情[9]  〜熱海駅前温泉〜

 

2012.3.2

 

鎌倉幕府はその領地を拡大し、西は熱海にまで及んだ。

などとは歴史書には書かれていないが、鎌倉の乏しい銭湯事情を解消するため

勝手に熱海まで足を伸ばした。 

 

なんとも長い脚である。

 

小生、東海道を栗毛の馬の代わりに自らの膝を使い行脚中であるがもちろん、時間と

金の都合もあり通し打ち(四国の遍路用語みたい)ではなく、区切り打ちであるが

その帰りに熱海で途中下車してお風呂に入るのが楽しみになってしまった。

幸い東京方面の電車の大半はここが始発になっているので

入浴後ゆったりと座席にふんぞり返って帰れるのも魅力の一つである。

 

駅の周辺に簡単に入浴できるような施設はないだろうか? 

 

そう思い出札口を後にしたが皆目見当がつかない。 

そこで駅前のアーケード入口付近にある蕎麦屋に飛び込み

蕎麦を注文するついでに風呂の在処を尋ねてみた。

 

「へぇ? ようわかりませんけぇ、裏の観光案内所で聞いてみてくだせぇ」

との返事が返ってきた。

 

あわてて蕎麦を流し込み店の裏手に出てみた。

観光案内所は何処だろうと首を左右に振っていたところ私の左隣に、「あった!」

あるにはあったのだが、それは観光案内所ではなく、熱海駅前温泉だった。

 

いったいあの蕎麦屋何を考えているのだろうと腹も立ったが、

すぐにファイナル・ディスティネーションが見つかったことだし、

今回は大目に見てやることにする。寛大な男はカッコいいものである。

 

それにしても駅前でないのに駅前温泉とは。。。

 

熱海の駅前の様子は説明するまでもないと思うが、駅舎の正面がロータリーになっていて

右側には2本のアーケードがある。左側は正面のビルの裏側の道に続いており

海に向かっての下り坂になっている。

左側の角から二、三十m進んだところにそれはあった。 

蕎麦屋の左側の路地を抜け左に曲がると直ぐの所でもある。

 

かくして小生は熱海の駅前のビルの裏側にある熱海駅前温泉に辿り着いたのである。

 

とっても小さな銭湯のような温泉で、脱衣室から浴室に入ると左側にせいぜい大人三人が

入れるかどうかという位の浴槽があり、右側から壁沿いにL字型にカランが並ぶ。

これも5~6組ほどしかないプチ風呂である。

はたして温泉なのかどうかも分からないが、熱海ではお湯を沸かすより温泉を引くほうが

安そうだし、お湯を舐めるまでもなく温泉だと判定!

それでもやっぱり旅の疲れを癒すのに気軽に利用出来大変ありがたいと感謝の念の絶えぬ

ケロリン軍曹であった。

ここは、熱海の神楽坂湯か?

 

2012.3.10

 

3月6日と3月8日に再び熱海で途中下車をした。

 

常時♨湯滓校長のお気に入りの銭湯が神楽坂の♨熱海湯♨であるというのを

思い出したからなのかも知れない。

熱海には神楽坂湯というのがあるのだろうか?

そんなことを漠然と考えていた。

そんなものはある筈がないと思うのだが、決めつけるのはよくない。

観光案内所で聞いてみよう。

きっとアホだと思われるだろうな。

そんなことをだらだらと考えながら出札口を後にした。

 

蕎麦屋の裏に観光案内所があるという話は以前聞かされた。

裏手の通りに出て右手を水平にして額に当て首を大きく左右に振って付近を見渡したが

観光案内所が目に入ることはなかった。

僕は正直胸を撫で下ろした。

熱海の人にアホだと思われずに済んだ。。。。

よく見ると熱海駅前温泉とはどこにも書いていない。

 

駅前温泉とだけ記されている。

 

そしてそれは熱海駅前振興会館の中にあった。

鎌倉銭湯事情[8] 〜清水湯3〜

2012.01.31

 

浴室に足を踏み入れようとして唖然としてしまった。

正面に六角形の異様なものがあった。

 

天井まで聳え建っていれば誰が何と云おうとも柱だと主張できるのだが、

床からせいぜい5、60cmの高さしかない。 

腰掛けるのに丁度良い位である。

それは切り株の様でもある。 

その断面は座布団が一枚おける程度の広さである。

 

私は驚きを隠せないでいた。 そして、無言の時は無駄に過ぎていった。 

ぎょ、ぎょ、ぎょに代わる驚きの表現を見いだせないでいたからだ。

 

その時の私はきっと驚いていると言うよりバツが悪そうな顔をしていたに違いない。

 

次の瞬間、更なる驚きが私に襲いかかって来た。

この奇妙な突起物の各面にはそれぞれに合計6組のカランが、

合計12もの蛇口が付いていたのである。

 

私は、うぉ、うぉ、うぉと声を出して驚いた。

なかなかの上出来だと感心している暇もなく、この人類史上類を見ない建造物が

珍百景に登録されていないことが不思議だと思い始めていた。

 

流石清水湯、敵ながら天晴れなものである。

鎌倉の世界遺産登録には反対であるが、この変梃りんなペンタゴンには

惜しみなく賛成票を投じてやろうと思った。

 

ここの浴槽もまた奇妙である。

細長い楕円形の浴槽を想像していただきたい。

その片方の曲線部を切り離し、断面を奥の壁に貼り付けたような形状である。

 

湯船は二つに仕切られていて奥が長方形、手前が円形に近い形になっている。

肩を寄せあいながら、膝を擦り寄せながら入ったとしても、せいぜい9名入れるかどうかである。

この浴槽を挟むようにして両側の壁にカランがある。

 

右側に6組のカランがあり円形の鏡が付いている。 

左側にある9組にはシャワーも付いている。

 

謎の突起物の前で6名が顔を突き合わせるように向かい合う。

成る程、ペンタゴンは金隠しよろしくお互いの見たくもない

恥部を隠し合うのに都合がよい。

 

合計21組のカランで21名が身体を洗い、

湯船の中で9名が身体を寄せあい

6名が湯船の前で入浴のチャンスを窺い、

10名がカランの空きを探しながら浴室内を徘徊する。

残りの14名は脱衣室で衣服の脱着する人々である。

 

流石、本丸の湯である。

緻密な計算に裏付けられて60個ものロッカーは設置されていたのである。

到底私などの若輩ものには考えも及ばなかった。

 

蛇足ながら加えておくが、浴槽の奥の壁に描かれている魚の絵が秀逸である。

縦4枚、横10枚、合計40枚のタイル上に描かれた絵は、およそ銭湯の壁絵のそれではなく、

本格的な日本絵の画家が描いたようにも思えるほどだ。

 

だって黒田画伯(本当は青木繁、ケロリン軍曹は呆けているので未だ誤りに気付いていない)の

海の幸で描かれた魚よりもうまそうだったもんな。

思わずよだれを垂らすケロリン軍曹であった。


鎌倉銭湯攻略の巻・・・完(End Fin Ende 終わり、ダスビダーニャ!)

 

これで完了したと思い胸を撫で下ろすのはまだ早い。 他の委員のテリトリーをも平気で侵略しかねない意気込みの

ケロリン軍曹である。

 

 

そう思って湯あたりして

もうろうとした清水湯に、

なんとテルマエが??

 

2012.2.24

 

今日テレビで奇妙なお風呂映画の予告編をみました。

お湯の学校の生徒は必見かも!

古代ローマの浴場設計技師が日本の銭湯にタイムスリップする

話みたい。

コミックの映画化みたいだけど、皆さん知ってましたか?

 

主演の阿部寛はケロリン桶を持ってローマのプレミア上映会に

出たいみたいですよ。

 

世の中には全く面白い発想をする人がいるものですね!

 

映画の公式ホームページは

http://thermae-romae.jp/index.html

 

ギャラリー

http://www.cinematoday.jp/gallery/E0000314

 

アニメ

第1話  時を駆けるローマ人 http://onlinedouga.seesaa.net/article/247263528.html

第2話  白鳥の湖       http://onlinedouga.seesaa.net/article/247264261.html

第3話  サンプーハット    http://onlinedouga.seesaa.net/article/247389128.html

第4話 皇帝の憂鬱      http://onlinedouga.seesaa.net/article/247389606.html

第5話  湯のちから 前篇   http://onlinedouga.seesaa.net/article/248754018.html

第6話  湯のちから 後編   http://onlinedouga.seesaa.net/article/248867013.html

 

 

鎌倉銭湯事情[7] 〜清水湯2〜

 

 

 

 

 

2012.1.26

 

今日は清水湯も営業している筈である。 

このまま順調に事が運んでしまっては鎌倉湯日記も終了に追い込まれてしまう。

名残惜しい感じが無いでもない。少し先延ばししてみようがと考てみたりもするが、今行っておかないと機会を逸してしまうのではないかという焦りも感じるのである。

(週休7日制になってしまっては手遅れだ。)

 

それこれ考え、悩んでいると無性にサウナに入りたくなってきた。 

やはり今日は中止して野田の湯に行こう。

そんなことしているとまた堂々巡りの双六になってしまうではないか。

煮えたぎらない気持ちのまま無駄に時間が過ぎ去って行った。

 

午後6時には所用があって大船へ出なくてはならない。 意を決して清水湯に向かうことにした。

時間がやや押し気味である。 源氏山公園を通り過ぎる時、頼朝に構っている暇などなかった。 

優柔不断な性格が幸いしたようだ。 今日は清水湯に密告されずに済みそうである。

 

鎌倉駅から若宮大路に出て右折し横須賀線のガードレールを潜る。次の信号を左折した後、横須賀線の踏切を越え、暫く直進したら信号を右折し、再度横須賀線の踏切を越える。 それでも清水湯はまだ姿を現さない。

 

昨日はアドレナリンが大量に出ていたのだろう。

何も考えずに一気に到着出来たのだが、道を間違えでもしたのだろうか? 

それとも私の姿を見て恋する乙女のように恥ずかしがった清水湯は姿を隠してしまったのだろうか? 

ロマンチックな妄想に浸っていたところ、青筋を立て天高く聳える建造物が目に入った。 (お、男だったのか!)

スカイツリーにも劣らぬその雄姿は素晴らしい(?)、いや、そのなんかちょっと奇妙な形をしているな・・・・・と思った。 

煙突が余りに細長くその周りは鉄骨の枠で覆われているのである。 

 

実はこのような煙突を見たのはこれが初めてではない。 先に紹介した常楽湯の煙突は、暗闇のためにはっきりとは確認できなかったのだが、やはりこのような感じに見えたのだ。

恐らくこの煙突も鎌倉では業界標準なのかもしれない。

この銭湯面白いことに駐車場がある。

尤も午後三時過ぎには老人がどっと押し掛けるので、利用者は早めに来て待機する覚悟がなければ収拾がつかなくなりそうである。 

 

入口は右側が男湯、左側が女湯の伝統的な作りである。 常楽湯同様余り広くはない。 ところが脱衣室には何と合計60個ものロッカーが備え付けられている。 60人も入室できる筈がないのに。 

どう考えても奇妙である・・・・???

 

私はしきりに首を横に傾げざるを得なかった。今、頚椎ヘルニアを患っているのだ。

どうか勘弁して頂きたい。

 

浴室に入ると私は大げさに驚くことになっている。 事前にネタをばらしておくが、浴室に足を踏み入れると同時に、ぎょ、ぎょ、ぎょと声を出して驚く段取りである。

 

この銭湯の壁には15cm四方くらいの白いタイルが貼られているのだが、此処では他の銭湯のようなモザイク画ではなく、タイルの上に絵筆で魚の絵が描かれているのである。 インターネットで定休日を確認していたところ偶然この絵が目に入ってきたのだ。 そこで私はこのレトロな風呂の中で古き良き時代を再現すべく昭和の香り漂うダジャレを準備しておいたのだ。 ところが声を出す前に私は愕然とし、腰を抜かしてしまった。 あまりの驚きに声を出すことすら出来なかった。 ζ&ξ#Ю!Ψ〒яΣを目の辺りにした時、私は敗北を悟った。 

 

私が目にしたものは一体何か? それでは次回をお楽しみに!

 

鎌倉銭湯事情[6] 〜清水湯1〜

ケロリン軍曹誕生秘話

 

 

2012.1.25

 

今日はいよいよ本丸攻めの日である。

期待に胸が騒ぎ昨晩はあまり眠れなかった。 

まるで小学生の時の遠足前夜の感じである。

しかし、この年になってエロいこと以外で胸騒ぎ心躍るとは

まだまだ修行が足りぬのかも知れぬ。

 

 

昨日までの様子をアップしておこうとパソコンに向かうのだが興奮のあまり手に付かない。 気付くとだらしなく口を開け涎をだれ流している。 全くの恍惚状態である。 キーボードに滴る粘々した液体を見て慌てて右手の甲で口をぬぐいながら、自分がこれほどまでにアホだったのか思うと少し情けなくなってきた。 早く一仕事終えて気楽になろうと早めに家を出た。

 

清水湯に向かう途中源氏山に立ち寄った。本日の勝利を祈念して白旗こそ持っていなかったがここにやってきたのだ。八幡太郎義家にあやかろうと思ったからだ。義家に因んだものが何かないかと探してみたが玄孫の頼朝の像くらいしか見当たらない。

 

仕方がない、頼朝に宣戦布告をして来ることにしよう。鎌倉攻めをしようというときに源氏山に遣って来たことがそもそも間違いだったのか? しかしここは清水湯攻略のための最短ルート上に位置するのだ。(鎌倉中央公園と清水湯を直線で結んでみて頂きたい。私が言っていることが虚言、妄想の類でないことが、ご理解頂ける筈である。)

 

鎌倉時代には160cmもあれば大男だったという話を聞いたことがある。

ところが台座に乗っているとは言え頼朝公は、身長173cmの私が視線を45度ほど上に向けないと目に入らぬ程の大きさである。まるで見上げる私を見下しているように思われる。この男態度も相当大きかったに違いない。主役でもないのになんという無礼千万。こんな輩は無視するに限る。 

 

意を決した私は鉄兜よろしく、ケロリンの風呂桶を頭にかぶり法螺貝ならぬ法螺を吹きながら清水湯のある材木座めがけて鎌倉山を駆け下りた。軍勢一名による鎌倉総攻撃であった。

 

鎌倉駅を過ぎた後、横須賀線を三回も交差してやっとの思いで清水湯に辿り着いた。

はぁ? 入口の張り紙を見て唖然としてしまう。 

事前にインターネットで定休日を調べておいた。

月・金の週休二日制とあった。 これだけでもユニークなのに、実際来てみると水曜日も休みになっていて何と週休三日制である。

 

解せぬ。 うむ、頼朝の奴密告しおったな。

敵は急遽定休日を増やし籠城作戦に出たに違いない。 何という強かな且つテイゲイな銭湯なのだ。完全に銭湯(戦闘)意欲を殺がれてしまった。

 

思わずナンクルナランサーと叫んでしまった。

 

すっかり心も身体も冷え切ってしまった。

これから大船に向かい銭湯に行ったのでは双六の湯のを繰り返してしまうことになる。

 

私は肩の力を落とし自宅に戻り、録画した平清盛を見ながら酒盛りをして体を温めた。

 

(只今睡眠中! ZZZZZZ・・・・・・・)

 

深酒をし過ぎたのだろうか、朝からガンガンと私の空っぽの頭蓋の中で鳴り響くものがある。

昨晩は、平酒盛りだとか何とか喚きながら大変だったと妻が憮然とした声で言った。

 

反省しながら何気なく手にしたデジカメの中には、源氏山公園や頼朝像、それに定休日の張り紙の写真が!

酒に酔って見た幻覚、妄想の類だと思っていたことが現実だったとは・・・

 

意を新たに清水湯再攻撃を誓うケロリン軍曹であった。

 

(ジョージ♨ユーカス編集長の名字はテイゲイ銭湯と同じ清水である。 何か臭うものがある。 もしや・・・

今度会ったときは打擲してくれるわぃ。 ぐうぁ、ぐうぇ、ぐふぉ! あっはーん♡)

 

*テイゲイは沖縄弁です。

*ナンクルナランサーは沖縄弁のナンクルナイサーからの造語です。

鎌倉銭湯事情[5] 〜常楽湯〜

 

2012.01.24

常楽湯攻略の日がやってきた。

 

ついに外堀の埋め立てが終わるのかと思うと感無量である。

今度こそは門前払いに遭わぬようにと事前に定休日を調べて家を出たのだ。

 

日も落ちて暗くなってから出かけたので建物の外観はあまり把握できていないのだが

かなり古そうで少し期待できそうである。

 

右側に男湯の入口があった。 

思わず右手を握りしめガッツポーズをしながら扉を開けた。

老女が番台に座っていた。 

脱衣室の方には目を遣らずにテレビを見ながらつまらぬジョークに過剰反応しながら笑い声をあげていた。 

老女の背中の方に何やら七福神であろうかと思われる神様の像が二柱置いてある。

(神様を数えるときは柱を使うようだ。古事記を読んでいた時そのように書かれていたような気がする。 

 間違っていた時はあやまる。 あまり私を信じ過ぎて外で恥をかかないようにして頂きたい。)

 

私は弁天様以外には魅力を感じないので、ここに置かれている二柱のメタボ神が誰なのか知らない。

多分恵比寿様はビール瓶を抱えているだろうから候補から外れそうだ。

 

昔から我が家に縁深いのは、厄病神と貧乏神だけだった。

どちらも痩せていたので太った神様を見ると哀れでしょうがない。

きっと内臓脂肪なんか相当付いているに違いない。

思わず神様に声をかけて注意しそうになったのだが、名前が出てこない。

年のせいでおもいだせない。 

(ごめんなさい。 私は嘘をつきました。 名前が出てこないのは教養のせいです。 

大黒様、布袋様、毘沙門天様くらいまでならなんとか分かるのですが

残りの二人は一体誰なんでしょう。 ところで布袋様って今井美樹の旦那のことでしょ?)

 

こんなところで悩んでいても埒が明かないので、とりあえず二柱のメタボ様に合掌し踵を返した。

脱衣室の右奥の壁の所に僅か十四、五ほどのロッカーが備え付けられているだけである。

そのうちいくつは鍵が壊れたままであり、残りも半分程も鍵が持ち去られてしまっている様子である。

 

混んでくるとロッカーが不足するなと思っていたところ、古い時代を感じさせるような脱衣籠が目に入った。

昭和五十年ころはロッカーよりも脱衣籠の方が主流だったような気がする。 

それにしても相当に古そうな籠である。もしかすると戦前のものかもしれない。 

古いのは何も籠だけではない。この建物自体がかなり老朽化していてまるでレトロ博物館にでもいるようだ。 

過去に私が入ってきた都内の銭湯と比べると半分ほどの広さだが、

同じような昭和の雰囲気が漂っていて思わず懐かしくなった。

 

浴室に入ると正面にしっかりと浴槽が鎮座していて、これぞ日本の正しい銭湯と言わんばかりである。

 

浴槽の背後の壁には大きな富士山の絵がこれまた鎮座するがごとく描かれている。

この絵の下に横長なタイル製のモザイク絵が描かれている。 

スイスかオーストリア辺りの湖畔が描かれていて風呂の雰囲気とマッチしていなくて

アンバランスなところもここの個性なのかもしれない。

 

この銭湯が古ければ古いほど、奇妙であれば奇妙であるほど好きになる、

痘痕も笑窪の常楽湯であった。

鎌倉銭湯事情[4] 〜双六の巻〜 

空き地の隙間から微かに見える湯沸かし用の薪

 

 

2012.01.22

 

あと一軒で外堀の埋め立ては完了する。

本丸攻めを目前にして私はうきうき気分で常楽湯を目指した。

ところがなかなか見つけだすことが出来ないでいた。

大船駅を出て交通広場を通り過ぎ、右折して横須賀線の踏切を越えた後

左折して暫く歩くと左側にある筈である。

正面に跨線橋とモノレールの軌道が見える。 この百メートル程手前にある筈なのに

見当たらないのだ。 途中路地を覗き込んでみたのだがそれらしきものを目にすることは

なかった。 事前に調べてくるべきだったと後悔しながらも、不審者よろしく同じ道を

行ったり来たり靴の底が擦り減ってしまう程歩き続けたというとウソになるが、二、三回は

往復したつもりである。 諦めかけていたころに空き地の隙間から解体現場から集めてきたような

木材が堆(うずたか)く積み上げてあるのが見えた。 注意深く目を凝らしていると右奥に何やら銭湯らしき

古い建物が見える。 もしやと思い路地の奥まで入り込み右折すると細長い煙突を頂いた建物が目に入った。

幸い室内に電気が灯いている。 やっと体を温めることが出来る。

どうやらここは薪で風呂を沸かしているらしい。 少しレトロな気分になって期待に胸躍らせながら

入り口に向かったのだが、目に入ったのは本日休業という文字の記された札だった。

仕方がないので他の銭湯に行くことにしようと思った。 ここから近いのは、ひばり湯と野田の湯である。

ひばり湯に行くと何だか振り出しに戻ってしまったようで口惜しい。 それに自宅から遠くなってしまう。

てな訳で、まるで双六だなと思いながら再び野田の湯へ向かったのである。

 

私は長い間、男湯の入口は右側にあるものだと思っていた。  いや、特に考えることなく右側を受け入れてきた。

実際過去に左側の入口を利用したことは断じてなかった。(もしかしたら私は法螺吹きかもしれない。ご免なさい自信ありません。)

しかし、ひばり湯で左側から脱衣室に入った時に筆舌に尽くしがたい、えも言われぬ違和感があったのである。

鎌倉で三軒の銭湯を経験したが、うち二件の入口は左側であった。 残る一軒も入口は右側にあったものの

浴室内のタイルはピンクが基調になっている。 カランの上の鏡も縦長の楕円形をしていて女性向きに

作られたものではないかと思えて仕方がなかったのだ。 壁面の裸女たちも入浴客達の体積を拡大させて

余計に湯船のお湯を溢してしまい合理的ではない。 もしや、こちらは女湯として設計されたもので、男湯と

入れ替えて使用されていただけではないのかなどと余計なことを考え出してしまった。 おかげで今夜は眠れ

そうにない。 さて、常楽の湯の入口はどっちだ。

 

 

鎌倉銭湯事情[3]

               〜野田の湯〜

 

 

 

2012.01.21

 

大船駅から湘南モノレールで一駅、富士見町で下車したところに野田の湯はある。

徒歩でも10分程度で行けるところだ。

(それ以上かかるとすればそれは足の長さのせいである)

 

モノレールの車窓からはすぐに目に入ってくるのだが、

下車後に道路から周りを見渡しても何処に姿を隠したのか、すぐには分からない。

メドゥーサたちが栗田湯に引き寄せる為にエロオーラを発して

私の眼を眩ませているのかも知れぬなどと思いながらニヤニヤしていると、

郵便局の裏に恥ずかしそうに隠れるように銭湯があるのに気付いた。 

なかなか奥ゆかしくてよろしい。

 

下足箱に靴を入れ扉を開いて中に入ると、ここが休憩室のようになっていて右側に番台がある。

そして左側の手前が男湯、奥が女湯の入口になっている。

平成になってから出来た建物だろうか? 少し新しいようにも思われる。

早速番台で下足札を渡そうとするとその必要はないという。 

信用されているみたいで心持ち気分が良い。

サウナが利用できるようなので値段を聞いてみた。 

バスタオルとフェイスタオルが付いて150円の追加料金を払えばよい。 

随分安いなと思っていたところ、スーパー銭湯と競争できないので

この料金でやっているとおかみさんが答えてくれた。 

 

そして奇妙な形のヘラを渡された。 何だか見覚えのある形だ。 

ひばり湯での事を思い出した。

デファクトスタンダード? これが業界標準なのか、鎌倉だけでの標準なのか、

はたまた偶然の一致なのかは分からないが私は腰を抜かさんばかりに驚いた。

 

でも、もしサウナ室の扉に取っ手が付いていたら今度こそはこのヘラで悪戯をしてやろうと考えた。

そしてロッカーの鍵を受け取り脱衣室に入った。 

この銭湯は外観とは裏腹に中に入ってみると随分こじんまりとしている。

 

所狭しと並ぶロッカーの番号を見て今度は本当に腰を抜かしてしまった。 

数字の配列に規則性がないのである。

一部順番に並んだところもあるが多くの番号はランダムである。 

あせりながら目を泳がせていると漸く自分のロッカーを見つけだす事ができた。 

ただの悪戯のつもりなのか、それともおちょくられているのだろうか。

私は頭の付近に?のオーラを漂わせながら、怯えるように慌てて衣服をはぎ取り浴室に入った。

 

入口左側にサウナ室があり残りの左側側面と正面の左側半分が浴槽になっている。 

カランもそんなに多くなく15,6程度だろうか。

壁画の類は全くない。 早速私はサウナ室の扉に目を遣った。 

残念なことに、いや幸いにも取っ手は付いていなかった。

昔ながらの銭湯の風情は感じられないが、遠方のスーパー銭湯に出向かなくても散歩がてらに

気軽にサウナを楽しむ事が出来ると思うとすこし嬉しくなった。

 

←野田の湯の全貌

 マンションの一角を利用した銭湯はよく見かけるが野田の湯は、銭湯の上をアパートにしている点が他と違いユニークな点である。

鎌倉銭湯事情[2]

    〜粟田湯(魔性の湯)〜

 

 

 

2012.01.18

 

かっての松竹大船撮影所(現イトーヨーカ堂)の近くにあるのが栗田湯。

ここも前出のひばり湯同様、番台で下足札を渡しロッカーキーをもらう。

 

館内で飲食の伴う健康ランドやサウナでは

無銭飲食を防止するためこのような策が取られるのが一般的だが、

どうやらロッカーの鍵の持ち帰りを防ぐための策なのだろう。 

それに番台が脱衣室の外側にある。これも鎌倉の銭湯の特徴なのだろうか?

 

学生時代に通っていた銭湯の番台に座る親父の右目はまるでクモの巣が張り巡らされているように

いつも曇っていて焦点が定まっていなかったが、女湯を望む左目は逆にギラギラと輝いていたものだ。 

時には白目の中から血管が浮き上がり充血していることさえあった。 

 

こんな器用な技を身につけなくても鎌倉では番台での仕事は務まる。 

脱衣室での様子を気にせずに済むので心が乱れることはない。 

 

そんなことを考えながら衣服を脱ぎ棄て浴室に入った。 

 

ここは正面に浴槽が配置されていてオーソドックスなレイアウトなのだが

都内の銭湯とはちょっと様子が違う。浴槽の向こう側に富士山は描かれていない。

左右のカランの上に小さなタイルを使ってモザイク画が描かれている。

左側は奥から手前にかけて梅の木の枝に鶯が止まっている絵があり、

一番手前のカラン一つ分の上に三保の松原から望む富士山が描かれている。 

 

やっぱり銭湯の壁絵は富士山だという申し訳的な趣があってちょっと嬉しい。 

 

ところが右側の壁は私には刺激が強すぎた。 

何と三人の裸女が描かれていたのである。 

ふと太宰の随筆の一節を思い出した。

 

老夫婦とも、人間の感じではない。 きょろきょろして、穴にこもった狸のようである。

あいだに、孫娘でもあろうか、じいさんばあさんに守護されているみたいに、ひっそりしゃがんでいる。

そいつが、素晴らしいのである。 

きたない貝殻に付着し、そのどすぐろい貝殻に守られている一粒の真珠である。 

私は、ものを横眼でみることのできぬたちなので、その人を、まっすぐに眺めた。 

十六、七であろうか。 十八、になっているかも知れない。 全身が少し青く、けれども決して弱ってはいない。 

大柄の、ぴっちり張ったからだは、青い桃実を思わせた。 

お嫁に行けるような、ひとりまえのからだになった時、女は一ばん美しい・・・・・・

 

(こんなに長く引用するつもりはなかったのですがついテンションが高くなってしまって。 

  ここで止めるのさえ断腸の思いだったんです。 続きは「美少女」を参照のこと) 

 

いや、羨ましい限りです。 私にはこういった局面では思わず目を背けてしまう習性があって、そして後で後悔する。

話を元に戻そう。 私は先ほどから盛んに横眼でちらちらと右側の壁画を眺めている。 後で後悔しないために。

 

そしてあることに気付いた。

 

三人の美女の顔があまりにも小さいのである。 十二頭身、いや十五頭身くらいかもしれない。 

ところが髪をふくよかに描くことによってちっとも変ではなくなっているのだ。 

それどころかとっても色っぽく感じる。

このような女性が実在したとしたら身を引いてしまうかもしれないが、

バーチャルな世界では容易に恋に陥ることが出来る。

 

魔性の美女たちはしきりに粉をかけて来た。

 

この時私はふと我に返りこの三人がメドゥーサの化身ではないかと思い始めていた。

横眼でチラチラと眺めるたびに異変が起きているような気がしたからだ。

慌てて私は顔を背けた。 もう少しで私は石にされてしまうところだった。

 

もっとも相手は壁画のメドゥーサ。 

魔力はさほど強くなく、その効力が及ぶのは手拭いに覆われた部分だけだという噂である。

 

 

浴室を立ち去る時、吉原の見返り柳よろしく美女たちの方を振り返った。

そこには嘴の上を長くしてニヤケながら飛んでいる二羽のカラスが描かれていた。

 

I shall return.

コーンパイプを口にくわえて私は栗田湯を後にした。

鎌倉温泉事情[番外篇] 

          〜友野風呂〜

 

 

 

2012.01.10

 

先日鶴岡八幡宮から北鎌倉方面へぶらぶら歩いていた時のことである。 

 

進行方向の左側に、ある土産物屋が目に入ってきた。 

 

何気なく目線を上にあげたとき店名が見えた。 

「友野風呂」と表示されていた。 

この店は銭湯が副業で経営しているところなのだろうか? 

 

きょろきょろと周辺を見渡してみたが風呂の気配は全くない。 

 

不思議に思って店舗の方へ眼を遣ると

成るほど木製の桶を始めとしたお風呂グッズが所狭しと並べられている。 

とは言え鎌倉にやってきた観光客がお土産に買って帰るのかな、

と考えると首を横に傾げないわけにはいかなかった。

鎌倉銭湯事情[1] 〜ひばり湯〜

 

 
 
 
2011.12.20
 
最初に訪れたのが大船にある「ひばり湯」。
 
まず自動販売機で入浴券を購入。 
入浴料450円、サウナ利用の場合750円、岩盤浴利用1200円。 
銭湯のサウナ利用で300円追加とは少し高すぎるのではといささか不満であったが
番台に入浴券と下足箱の鍵を渡すとこれと引き換えに渡されたロッカーキーと
奇妙な形のヘラと共にバスタオル、フェイスタオルを渡される。 これで納得する。 
鳩サブレを横に引っ張って伸ばしたような10センチ強の奇妙な形のヘラの先端は鉤状に
なっていて先端から2~3センチのところに輪ゴムが巻いてある。 
反対側には手首にぶら下げる為かゴム紐が付いている。 
何のための道具なのか皆目見当がつかない。 
脱衣室はかなり狭く一般的な銭湯の半分の広さにも満たないように思われる。
浴室の扉を開けると中央部に高さ1メートル程の仕切りがあり、
左側に浴槽、右側にカランが設置された洗い場がある。
突き当たりには小部屋が二つある。ひとつがサウナ室でもう一つは岩風呂と表示されている。
早速サウナに入ろうと扉の所に手をやって驚いた。
 
取っ手が付いていないのである。 トッテモ変だ。 押してみたり横にずらしてみたり
悪戦苦闘の末、取っ手のあるべき場所に幅5ミリ程度の切り込みがあるのに気付いた。 
なるほど。。やっと謎のヘラの使い道が理解できた。
きっと鉤になった部分をここに差し込み扉を引き開けるのだろう。 
この奇妙な形のヘラが他の入浴者に対して悪戯をするための小道具ではないことが判り少し安堵した。
岩風呂の方は四畳半ほどの小部屋になっていて家族風呂に丁度良いほどの広さである。
床と浴槽はタイルが貼られているだけだが、
この部屋の内側の壁面に岩を板ガラスのようにスライスした様なものが張られていてる。 
本格的な岩風呂とはいかないものの気分だけでも味合わないと損をしている様な気もする。 
情事♨(ユーカス?)には適当なスペースである。そんなことを考えながらぼんやりしていると
突然若い男女のカップルが入室してきた。 
私のことが目に入らないのかそれとも無視をしているのだろうか、
二人は人目を憚らず平然と湯船に入ってきたのだ。
私も何気なく二人の姿を眺めていたのだがどう考えても何か変だ。ここは男湯の筈だ。 
変な事を始められる前に注意しておいた方がよさそうだ。 
タイミングを見て声を掛けようとしていた時ふと我に返った。
ひとり寂しく岩風呂の中のぼせてしまっていたのである。 
どうも長湯をしすぎたようである。
私がバツの悪そうな顔をして足早にひばり湯を立ち去ったというのがもっぱらの噂である。