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ヒストリ湯
〜お風呂文化の原点は「魏志倭人伝」の沐浴に〜
先日、借りてきた「公衆浴場史」をみていたら、3世紀後半の倭の国、日本では亡くなった方の祭事において、全員で水中に入って洗浴(澡浴)を行い身を清めていた、とあります。
(下記の「魏志倭人伝」の記述)
なるほど、川で沐浴。自分の小さい頃は、
用水路に小屋があって、そこが五右衛門風呂になっており、
温まっては用水にざぶんと飛び込んで遊んでいましたが、
当時は神道や澡浴のことは誰も教えてくれませんでした(笑)。
<原始神道の信仰>
↓
[拝礼・祈願のための禊=澡浴(そうよく)]
↓
●海川・湖水・温泉での澡浴
●滝に打たれる・井戸水を浴びる
↓ ↓
潮垢離 水垢離
↓
[沐浴の起源]
↓
6世紀、仏教伝来による禊の形式化として沐浴が広まる
[寺院の湯堂において施浴と称する沐浴が普及]→庶民が入浴の楽しみを知る♨
↓ ↓
↓ 奈良時代
平安時代 [東大寺の大湯屋で施浴]
[宮中における御湯殿の義] 奈良時代に創建され
平安時代末期に消失。
このときに着用する浴衣が 現在の建物は鎌倉時代初期(1197年)の のもので、現存す
天羽衣と呼ばれたそうです。 る最古の湯屋です。
現在なら、自宅で朝シャンや朝風呂し、禊をしてから、神社仏閣や祭事に向かうと気持ちもすっきりしていいのかもしれませんね。真夏なら、行水をすればいいわけで、行水は小沐浴=小沐と呼ばれます。それができなければ、神職さんが参列者に塩や水(湯)をかけて、沐浴の代わりをしてくれますから安心です。
〜『魏志倭人伝』陳寿著〜
「其死、有棺無槨、封土作塚、
始死停喪十余日、当時不食肉、
喪主哭泣、他人就歌舞飮酒、
已葬、挙家詣水中、澡浴以如練沐」
死に際し、棺があって榔がない。土で封して冢(つか)をつくる。死ぬと、まず喪を停めること十余日、その時は、肉をたべない。喪主は哭泣し、他人は歌舞飲酒につく。すでに葬れば、家をあげて水中に入り、澡浴をする。それは(中国における)練沐のようである。
では、仏教が伝来して広まった沐浴、お寺で行われていた施浴とはどういうものだったのでしょうか?
第2話で調べてご報告いたします。